第56回企画展(2005年12月) 『クリスマス・パーティー』 河野愛二郎

作者の言葉
1987年を振り返る。85年のプラザ合意で空前の好景気が起き、世は享楽に突入。黒ファッションと灰色文具に始まり、千万円のスポーツ会員券、OLのマンション賃貸作戦、ひかり号の4800円カレー、服装で客を選ぶレストラン、倹約を笑う本。パフォーマンス広場、ウォーターフロント倉庫街・・・。

あれから20年弱、喧騒は記憶にかすみ、世代交代で話も通じにくくなった。

▼ 当時この絵で困ったことが起きた。欧米仕込みの貸しギャラリーで、砂利石と木の枝を積み上げた展示室に案内され、「ああいう作品ならOKですが、絵はちょっとお断りしています」。他を回っても「平面かあ」。廃車パーツの展示準備中だった。その幾多のギャラリーも後日残ったのはひとつで、担当も交代していた。美術は100年単位で世を見ているのに、人は10年であっち行きこっち行きする。

▼ しかし、もし誰も抵抗しないと、美術はいったい強弱どちらに向かうのか。答えはインターネット時代に示されるかも知れない。犯罪の足場にもでき、見ちゃいけない情報も並ぶネット上で、砂利や鉄く
ず作品は見せて、絵の具作品は伏せて、は徹底しにくい。材質などの形式どころか、オモロイかツマランかの内容もチェックなしに見せ放題だ。

▼ このインターネットが、ゴッホの時代にあったとしよう。彼は、弟テオが運営するホームページに、ひまわりや糸杉や麦畑を並べ、オークションさせたかも知れない。明治23年の極東の財閥が、ひまわりをいくらで落札したか、それとも目もくれずベラスケス止まりか。いやこれは話がそれている。問題は言いたい放題の環境で、ひまわりがあの絵になったかである。画家の苦悩がガス抜きでゆるんだ分、絵もゆるまないかという心配だ。
▼ 作風加減も立ち回りも、この上なく要領の悪いダメ男が倒れ、ヒーロー伝説になる絵の世界。入選もなく死んだみじめな負け組の、誰も欲しくない噴飯の遺作が、後に勝ち組を駆逐した。絵画がデザイン画やイラスト画にない魔力を持ち得た分岐点は、「否定」という向かい風だろう。肯定されてゴッホが育つほど、人間は強くはない。

▼ ところでネット以前から、絵画公募にデザインやイラスト風が増えたとの声がある。ポップとカジュアルの陰で、魔力の居場所が減ったとも考えられる。 

父と娘30
Father and daughter 30 1987
父と娘33
Father and daughter 33 1987
竜宮城の回り舞台
Rotative stage at Ryugujo 1988

お茶漬け屋の娘
Girl in the ochazuke shop 1988
雨のクリスマス
On rainy Christmas 1988
白い笛
White flute 1988

絵本の中の友だち
Friends in a picture book 1989

屋根裏の人形劇
Puppet show on the garret 1989

赤い表情の間07
Red expression room 07 1998

忘れた約束

(錬金術師の見た夢より)


Forgotten promise(from Alchemist's dream)2000

ぬれたマッチ箱

(不遇に終わった音楽家より)


Wet matchbox(from Obscurity all the musician's life)2003

伝説の淑女

(ラジオドラマのエピソードより)


Half-legendary lady(from Episode of radio-drama)2005