作者の言葉
1987年を振り返る。85年のプラザ合意で空前の好景気が起き、世は享楽に突入。黒ファッションと灰色文具に始まり、千万円のスポーツ会員券、OLのマンション賃貸作戦、ひかり号の4800円カレー、服装で客を選ぶレストラン、倹約を笑う本。パフォーマンス広場、ウォーターフロント倉庫街・・・。
あれから20年弱、喧騒は記憶にかすみ、世代交代で話も通じにくくなった。
▼ 当時この絵で困ったことが起きた。欧米仕込みの貸しギャラリーで、砂利石と木の枝を積み上げた展示室に案内され、「ああいう作品ならOKですが、絵はちょっとお断りしています」。他を回っても「平面かあ」。廃車パーツの展示準備中だった。その幾多のギャラリーも後日残ったのはひとつで、担当も交代していた。美術は100年単位で世を見ているのに、人は10年であっち行きこっち行きする。
▼ しかし、もし誰も抵抗しないと、美術はいったい強弱どちらに向かうのか。答えはインターネット時代に示されるかも知れない。犯罪の足場にもでき、見ちゃいけない情報も並ぶネット上で、砂利や鉄く
ず作品は見せて、絵の具作品は伏せて、は徹底しにくい。材質などの形式どころか、オモロイかツマランかの内容もチェックなしに見せ放題だ。
▼ このインターネットが、ゴッホの時代にあったとしよう。彼は、弟テオが運営するホームページに、ひまわりや糸杉や麦畑を並べ、オークションさせたかも知れない。明治23年の極東の財閥が、ひまわりをいくらで落札したか、それとも目もくれずベラスケス止まりか。いやこれは話がそれている。問題は言いたい放題の環境で、ひまわりがあの絵になったかである。画家の苦悩がガス抜きでゆるんだ分、絵もゆるまないかという心配だ。
▼ 作風加減も立ち回りも、この上なく要領の悪いダメ男が倒れ、ヒーロー伝説になる絵の世界。入選もなく死んだみじめな負け組の、誰も欲しくない噴飯の遺作が、後に勝ち組を駆逐した。絵画がデザイン画やイラスト画にない魔力を持ち得た分岐点は、「否定」という向かい風だろう。肯定されてゴッホが育つほど、人間は強くはない。
▼ ところでネット以前から、絵画公募にデザインやイラスト風が増えたとの声がある。ポップとカジュアルの陰で、魔力の居場所が減ったとも考えられる。
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