インターネット美術館ではより良い作品の収集と訪問者に喜ばれる運営を図るため、企画展を行います。一般投画の上から「この人を!!」の注文を談話会にお願いします。 |
企画展には約10点の作品を1月前後展示します。見た目には分かりませんが、他所で自分の作品がと問題になったとき、透かし保証により、所有権を主張できます。 飯村二郎 |
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ご挨拶 暮れも押し迫って,菊地さんにこの企画展のお願いをした。 今回,元旦からと言うわけには行かなかったが,やっと菊地さんの馬を午年にかけて投画していただいた。 私は,菊地さんに会ったことはない。でも私の住んでいる町田には版画美術館があり,玉川学園の町では随所にある10数軒の展示館をギャラリーウォークと称して秋の散策がてら楽しむことが出来る町だ。 菊地さんはこの地で成瀬美術の会を20年以上も指導されかつ年10回近くの個展など,精力的な活動をホームページで見ることが出来る。特に随所にある絵の話の中で画家の生き様が伺えて思わずうなずいてしまう。 特に紹介したいのは若いときの修行時代の作品だ。 「何を考えてこんなに熱中して描いたものか、23、24歳のときの8号と27から30歳ぐらいまでの50から80号の裸婦が数枚出てきた。」 今の一気描きとは違った顔があります。見てください。 http://www12.u-page.so-net.ne.jp/qa2/toyo-h/f-shu2/shu.html |
「作者の言葉」 もし絵画道なるものがあるなら、私は正道ではないと思う。おそらく邪道だろう。 生まれは戦後の昭和25年、東京の下町である。父は絵描きだった。油絵を原精一に学んだ。 原は萬鉄五郎の弟子である。油絵の使い方みたいなものがあるなら、私は日本のフォーブに属するかもしれない。 しかし、実際には中国の宋元画が好きであり、したがって油彩もオイルをふんだんに使う速描きである。30歳頃まで習作をやっていた。これは父がうるさかったからこともあるが、私自身新奇なものより古典絵画が好きだったからである。 美大を出ていないのでデタラメ画法かもしれない、画材メーカーに4年半勤めたので自分の使うものについてはけっこう詳しい。 馬をはじめ、私の絵はほとんど現場で描く写生である。 |
皆さん、企画展の印象は如何ですか?ぜひ感想を談話会におよせください。 |