イランという国・・・          TOPに

国旗の意味:緑色はイスラム教を、白色は平和と永遠を赤色は共和国憲法を象徴する。 
中央の紋章は、1本の剣と4つの三日月でアラビア語の「アッラー」を、三色の境界は「アッラー・アクバル」 (アラーの神は偉大なり)の意味があります。

世界で最も歴史の古い国の1つです。BC550年頃よりペルシャと呼ばれていたがイランと改称したのは1935年。イスラム教でシーア派が多数を占める。1813年ロシアとの戦いに敗れイギリスとも不平等条約を押し付けられ1900年にはいるとイギリス資本により石油開発が始まったがイランは自由に売ることも出来ず収入もなく国民の生活は苦しくなる。1960年中東の国々や産油国は「石油の生産、販売は自分達の手で行う」とOPECを結成し莫大な収入が入るようになるが1部の人達の財産を増やすだけとなり国民は抗議デモで反国王運動が成功したのもつかのまでイラン軍が突然侵入してイラン、イラク戦が8年にわたった。その戦いに行ったガイドは戦車の上で目玉焼きをつくったと言うほど暑い。
 モスクは入り口も中も男女別。我々外人も頭から下まで長いマント?をバスの中で着用させられる。
国の収入の70%は石油からというだけあってガソリン1リットル7円だからお土産にと言われたが・・・
私の嬉しかった1つに毎日毎食ヨーグルトが自由に食べれることでした。ブルガリヤでもこんなじゃなかった

銀行の地下に宝石博物館があり厳重なチェックを受け持ち物は何も持ち込めずすぐに扉が閉められた。
 真珠をちりばめた王服、王座、剣、王冠 5万個の宝石を埋め込んだ地球儀(海はエメラルド、陸はルビー
赤道はダイヤ)、世界最大のダイヤ・・・etcため息が出る。革命前に王家の所有したコレクション
 
アフワズは産油地帯でアラブに近いのでアラブ人が多い。イラン、イラク戦争の激戦地で忘れないためにもそのまま残骸?が残されてる。50万人が殺されたとのこと。 途中で砂嵐になり道路閉鎖でストップ,視界ゼロでバスもゆれて怖かった

マシャド  テヘランから飛行機で1時間30分の北東部で9Cに創られシーア派のメッカで世界から巡礼に来る。アフガニスタンの国境近く難民が多く治安が悪いので注意を受けた。道端に生活用品を売ってる?が日本のゴミ捨て場から持ってきたような物が多く、汚れた靴の片方だけとか、買う人がいるのでしょう。
確かにバザールで歩く人ははだし、一人で歩く子供を見て友人とこっそりお金を握らせた。
 霊廟広場で儒教者の苦しみを分かち合う儀式 (鎖で身体を打ちながら歩く)が40人位で行われていた。
ここのモスクは女性は頭から足まですっぽり覆うのを着用させられ持ち物は全て預けてボデイチェック。
   ホテルは最高によかったが事前にパスポートを預けるのです

  いろいろ目にしたことと自分の体験したことを思うと複雑な心境でした。 世界で貧富の差がありすぎますね。
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