■0012 2001年01月27日(土) 09時06分30秒 << | >> [一覧画面]
Re:ブラジルからの投画 お名前:iimura


大野さん@ブラジルから私の方にメイルが届きました。
それをBBSに転送します。
なお、お子さんが参加している絵のHPも別便で教わりました。
日本の影響でマンガのキャラクター一杯です。すごいですよ。
http://server2040.virtualave.net/leonono/index.cgi  

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>大野さん、ブラジルの様子を紹介してください。
>貴方は、何年も在ブラジルなのですか?
>
拝啓   電子メールを有り難うございました。上の御質問にお答えしてみます。
明治41年(1908年)6月18日、初の日本移住者がブラジルの各地へ
入植して農業を営みました。重労働の上に病気とも闘い、多くの方達が犠牲
になりました。その中で成功した方も沢山おられ、現在は自家用機も持った
生活をしておられます。その後、今から30数年前にブラジル政府は農業の
発展のみならず、工業の技術開発のため、技術移住者を求め始めました。
1945年8月15日の第二次世界大戦の終戦で日本は荒廃し、そのとき
世界各国から日本へ物資援助が送られましたが、ブラジルも其の一国でした。
私は24歳のときに、恩返しの一つでも出来ればと思ったのと、暖たかい
大きな国が見たいと言う気持ちがあり、電気技術移住者として32年前に
渡伯しました。はじめは言葉が分からず(ポルトガル語)病気で話せない人
また聞こえない人の気持ちがよく分かりました。当時の私の仕事は大型の
コンピュータ(IBMやフランス製)の電源を供給するための設計施工でした。
其の頃は未だパソコンは存在していませんでした。ブラジル国はとても大きく
日本の23倍強あり、北部は赤道に面しジャングルが多くとても暑いです。
しかし工業都市も有り、日系企業も沢山活躍しています。これは政府が北部の
開発のために生産税を免税したからです。それにひきかえ南部は南極に面する
だけあって寒く冬は雪が降ります。南部はドイツ移住者が多く、故に建物も
ドイツ式民家でとても奇麗です。当地もアメリカと同じように、多国民の移住
によって形成された国ですが、当初の支配者がイギリスかポルトガルの違いで
大きく発展の度合いに差が生じました。しかしそれは国民性でブラジル人は
あまり科学的による急速な発展を考える人が少なく、無理のないように自然に
事を進めようとしています。隣国が発達した事を始めても余り慌てないようです。
当地は地下資源が多く、また食料源も豊富で安価ですので生活費も3人家族の
場合日本円にして3万円位です。例えばバナナ1ダースが50円です。
パソコンも5万円位から有ります。これは私の住んでいる物価の高い町で
サンパウロ市での様子です。当地もアメリカと同じく自動車の国で、町中は
よく渋滞して、ひどいときは渋滞130Kmの日もしばしばです。
しかし高速道路が多く、市外に出るときは気持ちが良いものです。
私は日本で中学生の頃迄は画家をめざしておりましたが、「真の絵画とは何か」
と言う事を追求始めまして、(例えば、ある病人が其の絵を見て病気が直るとか)
死の世界に突入して行く様な気がしてから筆が取れなくなりました。そこで、
好きであった電子の工業学校へと進みました。以後絵を画くことから遠のき40年です。
たいした絵も画けなかった私ですが、年も取りましたし現在は当地の若者にコンピュータ
による工業自動制御(ハードとソフトの両面)を教えながら、子供に帰った気持ち
と成ればへたな絵でも画ける事が分かり、ぼちぼちと自己満足で最近また始めました。
ブラジルは植物の種類も多く、花びらが人の大きさ程にも成るという物もあります。
いろいろな植物を眺めていますと本当に気持ちが和みます。
貴方のホーム ページにより多くの人が訪れ、栄えあれんと祈っております。

平成13年1月27日     大野 義勝


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↑親文書: