2-01シナリオ  [足跡(1)] 

さて、ここからは、これまでに述べてきました光ファイバがどのようにして開発されてきたかを、エポックメイキングな節目をたどりながら見て行きたいと思います。

普通、光ファイバ開発の第一歩は、カオ博士の提言から始まります。お手元に配布しました開発史では、1960年のレーザの発明から始まっていますが、光通通信の第一歩となるとレーザの発明からになります。1960年からカオ博士の提言までの間は、光ファイバ通信から見ますと、夜明け前でして、NTTなんかでも、レーザ光を空間を飛ばす光通信を研究していましたし、この頃は、まだ、ミリ波の研究もやっておりまして、まだ、光一辺倒ではありませんでした。

 チョット横道ですが、この頃のレーザはコヒーレントな光源、即ち、電磁波の周波数を極限的に高めたものという印象ですが、単に光を極短パルスに区切るだけならコヒーレンシはいらないように思うんですが、その道に専門家に聞いて確かめて置いてください。

 

カオ博士の提言は、今振り返りますと、まだ、Devil’s riverの向こう側にあったようにも思います。実際、NTTには、西澤潤一先生でしたかを通じて売込みがあったようですが、コーニングの発明以前は、NTTの研究所は動きませんでした。と言いますのは、この頃の光通信は、空間伝搬の通信を研究しようというのが主流でして、私がNTTに入社したのは1966年ですが、この頃の採用パンフレットには、HeNeレーザという、コヒーレントな光を使うと、 20000チャネルの超多重通信ができるかもというようなことが載っていたように思います。空間伝搬というのは、透明度が大変高いんでして、例えば、正月の3ヶ日なんかの晴れた日には、車の排気ガスの影響にない真っ青な青空で、都心からも富士山がはっきり見えますが、その時の損失がkmあたり0.2B位といわれておりまして、一方カメラのレンズはといいますと、300dB/km位もありまして、一寸先も見えない濃霧の日の透明度に相当しておりまして、当事の常識では、とても、固体のファイバ中を光を通すなんてことには信じられなかったのだと思います。

 

NTTの研究所では、1981年のOHフリーのVAD光ファイバを発表して、一応、死の谷を越えたと考えて、量産化へ橋渡しと次世代への新たなステップを踏み出します。