2-02シナリオ [足跡(2)]

1980年前後から、ポスト石英ファイバという事で、石英ファイバを置き換えるような超低損失ファイバ材料を探そうとか(1979)、光ファイバの両端にぶら下がる光回路の平面化を図ろうとか(1981)、次世代への探索テーマを開始します。その一方で、VAD技術を量産性のある製造技術に仕上げようということで銅線の線引き速度と同等の、1km/分位で線引きしたいという目標を掲げて、Darwinの海に乗り出し、それ自体は、 1986年の発表でけりをつけるのですが、19826月に、NTT茨城研究所で、一旦敷設した光ファイバケーブルに、原因不明の経時的損失増加があるという大問題が発見されます。これは、言葉で表現すると、長期信頼性に決着いうこと以上のものは無いのですが、実態は、下手をすると光ファイバ線路そのものが地上の星に埋もれてしまいかねない大問題でして、以後約2年半に渡って、大規模な原因究明と対策の研究が行われます。幸い原因は水素の浸入とドーパントとの相互作用であることが分かり、ケーブル製造時の対策で無事解決して大事には到りませんでしたが、緊張が走った一瞬でした。

 

1985年くらいから、プレーナ型光回路や光増幅器、波長多重などの論文が出始めますが、このあたりはDarwin’s Seaというよりは、次世代、即ち、All光ネットワークへの展開の一歩と捉えた方がいいように思います。私自身は、民営化したNTTの基礎研究所は如何にあるべきかという方針作りや、関西の方にATRという基礎研究所の兄弟分みたいのを作ったりで、光からは離れてしまいましたので、この辺りは他の人に話してもらった方がいいと思いますが、一言で言うと、全光ネットワーク構築に向けてもがきが始まったといったところだと思います。